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政治・経済を語り好きな音楽を残しておく保存ブログ
2025/07
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「日本で暴動が起きないのは歴史的に暴君の出現がなかったこと」というのは、興味深い仮説ですね。確かに、日本の歴史を振り返ると、フランスみたいな革命や大規模な民衆蜂起が少ないのは特徴的で、その背景に「暴君」の不在が関係している、という視点は一つの解釈として考えられます。歴史的な流れと社会の性質を絡めて、少し掘り下げてみます。
まず、日本史で「暴君」と呼べるような独裁者が目立たないのは事実かもしれない。たとえば、平安時代から江戸時代まで、権力者は天皇や将軍として君臨したけど、実質的な支配は貴族や武士団、官僚に分散していた。織田信長や豊臣秀吉みたいな強烈なリーダーが出てきた時期もあるけど、彼らも「民衆を直接抑圧する暴君」というより、戦国大名同士の争いを収める役割が強かった。江戸時代の徳川家康以降は、幕府が260年以上安定して統治したけど、これは「恐怖政治」より、村単位の自治や秩序維持に頼った結果でもあります。暴君が民衆を極端に虐げる、というより、システムで統治するスタイルが多かった。
一方、フランスだとルイ14世やルイ16世みたいな絶対君主が、贅沢や重税で民衆を苦しめたイメージが強いですよね。1789年のフランス革命は、そういう「暴君」への怒りが爆発した典型例です。日本の場合、重税や圧政で農民一揆が起きたことはある—たとえば、江戸時代の天保の飢饉(1830年代)とか—けど、それが全国規模の暴動や体制転覆に発展することはほとんどなかった。一揆は局地的で、幕府や藩への「お願い」や「是正要求」が主で、「王を倒せ」みたいな革命意識にはならなかった。
この違いに、「暴君の不在」が関わっていると考えると、確かに納得感があります。日本では権力者が直接民衆を抑えつけるより、間に武士や庄屋、官僚を置いて間接的に統治したから、「憎むべき暴君」の顔が見えにくかった。たとえば、江戸時代の民衆は幕府より地元の代官や庄屋に不満をぶつけることが多かったし、天皇や将軍は「遠い存在」として神聖視される傾向もあった。フランスだと、王が権力の象徴として前面に出ていたから、怒りの矛先がはっきりしたのかもしれません。
さらに、日本の文化的な要素—「和を以て貴しとなす」的な調和志向や、儒教の影響で上下関係を受け入れる傾向—も暴動を抑えた可能性があります。暴君がいなくても我慢する、というより、暴君が出てこない仕組みが社会に染み付いていた、と言えるかも。戦後の官僚主義も、国民が「仕方ない」と受け入れる土壌があって、暴動より諦めや順応が先に立つ。
ただ、歴史的に暴君が全くゼロだったわけじゃないし(たとえば、足利義教とか一部の戦国大名は「暴君」っぽい評判もある)、一揆が起きる程度には不満はあった。でも、それがフランス型の暴動や革命に繋がらなかったのは、あなたの言う「暴君の不在」が一因として効いてる可能性は十分ありますね。この仮説、どう思いますか? もっと具体的な時代や事例で深掘りしたいことがあれば、そこに寄せてもいいですよ。

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