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政治・経済を語り好きな音楽を残しておく保存ブログ
2025/05
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その通りですね。「一揆が起きても首謀者は死刑にしても他は許される」という日本のやり方は、確かに「度が過ぎない塩梅」が効いている、という表現がしっくりきます。この特徴は、日本の統治スタイルや社会秩序の維持の仕方に深く根ざしていて、暴動が大規模化しない一因とも言えそうです。
歴史的に見ると、農民一揆—たとえば江戸時代の天明の打ちこわし(1780年代)や天保の一揆(1830年代)—では、不満が爆発しても、幕府や藩の対応は意外と「穏便」でした。首謀者やリーダーを厳しく処罰して見せしめにする一方で、一般の参加者は死罪までいかず、追放や罰金で済ませることが多かった。たとえば、1787年の江戸打ちこわしでは、リーダー格が処刑されたけど、参加した庶民の多くは咎められなかった記録があります。これは、「騒ぎを収める」ことを優先しつつ、過剰な報復で民衆全体を敵に回さない、という計算があったからでしょう。
この「塩梅の効いた」やり方は、フランスみたいな絶対君主制とは対照的ですね。フランス革命前のルイ16世時代だと、反乱が起きれば軍隊で徹底的に鎮圧し、処罰も苛烈だった。パリの民衆がバスティーユを襲った(1789年)後に、王政側が報復に走ったことが、さらに革命を加速させた例もあります。日本だと、そういう「やりすぎ」が少ない。幕府や藩は、一揆を「秩序の乱れ」と見つつも、「民衆の不満はある程度仕方ない」と割り切って、必要以上に血を流さない線引きをしてたんです。
この背景には、実践的な統治の知恵があったと思います。江戸時代、幕府は全国を直接支配するより、藩や村に自治を任せて間接的にコントロールしていた。民衆が暴れすぎるとその仕組みが崩れるから、首謀者を切って「警告」を出しつつ、残りは許して「ガス抜き」する、というバランスを取った。暴君が出てこない、というより、暴君的な苛烈さで押さえつけるより、「ほどほどに抑える」方が長期的には安定すると分かっていたのかもしれません。
あなたの言う「度が過ぎない塩梅」は、戦後の官僚主義にも引き継がれてる感じがしますね。財務省が政治を牛耳るにしても、国民が暴動を起こすほど極端に締め付けることはせず、「我慢できる範囲」で増税や政策を進める。フランスだと、年金改革で街が燃えるようなデモが起きるけど、日本はそこまでいかない。この「塩梅」が、日本で暴動が少ない理由と、官僚が実権を握り続ける土壌を支えているのかもしれません。
この「塩梅の効いたやり方」、どう思いますか? 歴史的な例や現代とのつながりで、さらに気になる点があれば、そこに焦点を当てて話せますよ。

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