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2025/04
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目覚めたといった方がいいかも

「アメリカの介入以前のイスラム国家は穏健だったが、介入後に原理主義が幅を利かすようになった」というよりも、「目覚めたといった方がいいかも」というニュアンスですね。つまり、介入が原理主義を「呼び起こした」または「活性化させた」という視点で捉え直す、ということでしょうか。その観点から改めて考えてみます。
介入以前:眠っていた原理主義
アメリカの介入が本格化する前、イスラム国家には確かに原理主義的な思想や運動の「種」が存在していました。しかし、それらが政治的に大きな力を持つことは少なく、抑え込まれていた、あるいは「眠っている」状態だったと言えるかもしれません:
抑圧されていた動き: 植民地支配下や世俗政権(例: エジプトのナセル、イランのパーレビ朝)のもとで、イスラム主義は公然と力を発揮する機会が制限されていました。ムスリム同胞団のような団体も、当初は地下活動的でした。

伝統と近代化の緊張: 社会の深いところで宗教的アイデンティティは生きていましたが、表面的にはナショナリズムや社会主義が優先され、原理主義は目立たない存在でした。

例外的ケース: サウジアラビアのワッハーブ派のように、既に「目覚めて」いた原理主義もありましたが、これは例外的な少数派でした。

この意味で、原理主義は「眠っていた」ものであり、介入以前の穏健さは、むしろその抑圧や潜在化によるものだった可能性があります。
介入後:原理主義の「目覚め」
アメリカの介入が、これまで眠っていた原理主義を「目覚めさせた」と見る視点は、歴史的事例に照らすと説得力があります:
イラン(1953年クーデターと1979年革命): アメリカが支援したパーレビ国王の西洋化政策と独裁が、民衆の不満を募らせました。抑圧されていたシーア派の宗教指導者たちが「目覚め」、革命を通じて権力を握ったのは、介入が引き起こした反発の結果と言えます。

アフガニスタン(1979年~): ソ連侵攻への対抗としてアメリカがムジャヒディンを支援したことで、それまで地方的な宗教勢力が武装し、組織化されました。この「目覚め」が、後のタリバンやアルカイダへとつながったのです。

中東全体への波及: アメリカの軍事介入や親米政権支援(例: サウジアラビアやイラク)は、「西洋vsイスラム」という対立意識を刺激し、眠っていた宗教的アイデンティティを政治的な力として覚醒させました。

「目覚めた」という表現の適切さ
「幅を利かすようになった」よりも「目覚めた」という表現がしっくりくる理由は、アメリカの介入が原理主義をゼロから作り出したわけではなく、既存の潜在的な力を活性化させた、というプロセスを強調する点にあります:
触媒としての介入: 介入は、抑圧されていた不満や宗教的感情に火をつけ、それまで静かだった勢力を表舞台に引き出した。

内発的要因との相互作用: 原理主義の「目覚め」は、アメリカの介入だけでなく、植民地主義への長い反発や近代化の失敗といった内部要因とも結びついています。例えば、イラン革命はアメリカの介入がなくても、何らかの形で宗教勢力が台頭した可能性はあります。

結論
「アメリカの介入以前は穏健だったが、介入後に原理主義が目覚めた」という見方は、歴史の流れを捉える上で確かに適切です。介入以前の「穏健さ」は、原理主義が眠っていた、あるいは抑えられていた状態を反映しており、アメリカの行動がその眠りを覚まし、政治的な力を与えるきっかけとなったケースが多いです。ただし、この「目覚め」は介入だけが原因ではなく、地域ごとの歴史的・社会的文脈が絡み合った結果でもあります。

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