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どちらも文明の知恵を結集した場所でそれを失って以後の世界は文明としての力を失ってしまったのではないだろうか?




エジプトは642年までは東ローマ帝国の支配下だった

ビザンチン帝国期(380年 - 642年)[編集]
詳細は「:en:Diocese of Egypt (Late Antiquity)」を参照
ローマ帝国の分割後は東ローマ帝国に属した。
Sassanid conquest of Egypt(618年–621年)でササン朝ペルシャが勝利し、629年までその支配下にあった。同629年、エルサレムなどでキリスト教に改宗しないユダヤ人に対する虐殺事件、Massacres of the Jewsが起こり、ユダヤ人がエジプトに脱出した[9][10][11]。




知恵の館

知恵の館(ちえのやかた、アラビア語:バイト・アル=ヒクマ, بيت الحكمة Bayt al-Ḥikmah)は、830年、アッバース朝の第7代カリフ・マームーンがバグダードに設立した図書館であり[1]、天文台も併設されていたと言われている。
サーサーン朝の宮廷図書館のシステムを引き継いだもので、諸文明の翻訳の場となった[2]。「知恵の館(バイト・アル=ヒクマ)」は「図書館」を指すサーサーン朝の呼び名の翻訳だと言う。

ギリシア語の学術文献の、アラビア語への翻訳であった[1]。時にはシリア語を介しての翻訳になった。
国家事業として、医学書・天文学(占星術を含む)・数学に関するヒポクラテス・ガレノスなどの文献から、哲学関係の文献はプラトン・アリストテレスとその注釈書など、膨大な書物が大々的に翻訳された(「大翻訳」)。また、使節団を東ローマ帝国に派遣して文献を集めることもあった。
10代カリフ・ムタワッキル(在位:847年 - 861年)以降の反動期によって、活動が急速的に衰えていくこととなった。そして1258年のモンゴル帝国によるバグダードの戦いによりバグダッドは町ごと破壊され、知恵の館も膨大な文書と共に灰燼に帰した。




アレクサンドリア図書館(アレクサンドリアとしょかん、古希: Βιβλιοθήκη τῆς Ἀλεξανδρείας - Bibliothḗkē tês Alexandreíās)は、紀元前300年頃、プトレマイオス朝のファラオ、プトレマイオス1世によってエジプトのアレクサンドリアに建てられた図書館。
世界中の文献を収集することを目的として建設され、古代最大にして最高の図書館とも、最古の学術の殿堂とも言われている。図書館は多くの思想家や作家の著作、学術書を所蔵した。綴じ本が一般的でなかった当時、所蔵文献はパピルスの巻物であり、蔵書は巻子本にしておよそ70万巻にものぼったとされる。アルキメデスやエウクレイデスら世界各地から優秀な学者が集まった一大学術機関でもある。薬草園が併設されていた。

「アレクサンドリア図書館」の喪失[編集]
その後、虫害や火災によって図書館の莫大な蔵書のほとんどは、併設されていた薬草園共々灰燼に帰した。そして後世の略奪や侵略による度重なる破壊で、建物自体も失われた。
アレクサンドリア図書館が火災に遭った原因については諸説がある。プトレマイオス朝末期のユリウス・カエサルの侵攻時(ナイルの戦い (紀元前47年))、港の艦隊の火災が延焼して焼失したと考えられるが、その後ローマ帝国の下で復興した。270年代のアウレリアヌス帝時にも内戦による被害を受けている。しかし最悪の打撃は4世紀末以降のキリスト教徒による継続的な攻撃である。5世紀には当時のキリスト教徒大司教の使嗾のもとにヒュパティアの虐殺(415年)などの蛮行を繰り返し、大図書館やムセイオンをも破壊した。このようなキリスト教の蛮行によりヘレニズム学術の貴重な成果の大半が失われた。

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