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2025/05
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・リーダーはグループ、集団を代表、指導、先導、統率する存在

・戦略は戦争・闘争のはかりごと。戦争の総合的な準備・計画・運用の方策。




戦略とは一貫した目的への一連の行動ですよね 目的は10年単位長ければ50.100年単位まで考えられるかもしれません

戦略に一番大事な事は目的に向けた一貫性の持続ですよね、今日はレーザーを作り明日は核ミサイルでは何も作れません

計画的な町を作ろうにも目的がコロコロ変わったら計画的な町なんて作れるはずがありません

より統合した戦略にはより大きな一貫性の持続が求められます 当たり前ですが・・・

その持続した一貫性なるものをどこで維持するのかが問題になります

そこで重要になるのがリーダーの存在です

統合した戦略を維持するにはそれを維持させる権限を持つリーダーが必要になるということです。

まぁそういうことですWW

どうしたって一貫性を維持できる要素が日本にはないですよね

リーダーがいない方が個々が好きなように行動ができます、それは罰する存在がないからです。

戦前も実はそうでしたWW

元老時代が終わったら軍閥の闘争時代になりました、勝者を決めるのは実は世論になりました

五・一五事件も世論が味方をして実質無罪になりその事が二・二六事件の正当化へとつながっていき、その時に政治的なリーダーを完全に失い大戦へと突き進むことになります

軍部が国を動かしても一枚岩でもなく戦略もなく行き当たりばったりの後付けでは勝てる戦争も勝てるはずもなく指示した国民ともども敗戦を迎えてしまいました

戦争は民主化したから負けたともいえます 
民主主義でリーダーを選ぶのは大変な事です
なぜなら利害が一致しない国民の数の利害が絡むからです

世論を味方につけて権力は手に入れることはできますが戦略なるものは不可能という事です。

明治には元老という地位があり内閣総理大臣を指名する権限などがありました(選挙で選ばれず法的根拠もない存在)、そうすることで一貫性の持続が可能だったわけです。

多分、他の国でも実は選挙で選ばれた人が国を動かしてないのかもしれません。
戦略がある国であるならば一貫した人が管理監督しないと戦略を維持できないからです。

受け入れられない考え方でしょうが実際にそんな事でもしない限り国民を守ることは不可能だと思いますね、戦略という視点からみてみればそういうことです。



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本当なら政治家は必要のない存在でそのこと自体がコストです。

会社でも政治が幅を利かせるようになればそれはコストです。

必要なのは政治ではなく統治することです。

その国の発展はその国のコストによってブレーキがかかるのです

本当は民主主義は非効率ですよね

しかし独裁はもっと非効率なのはすべてに政治というコストがかかっているからです

独裁は税金を払わない賄賂が横行するルールを作っても自分の都合で勝手に変更するという政治コストがかかるゆえに民主主義より不効率になります

国の発展はいかに政治化させずに基準を作り政治コストがかかりにくいシステムを作るかにかかっています。

北欧などの小国が発展するのは政治コストがかかりにくい見える化がなされていてそれ故発展しやすいということができます。

大国は発展しますが政治コストがかかりやすく効率が悪いので覇権を握ったとしても長続きするのは難しいです。

ここでいう政治のルール化というのは 県民所得と地方公務員の年収を比例させる で述べたように公務員と政治家に決めさせないでルールを作り政治化を消滅させていくことが大事なのではないでしょうか?

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単純な例で言えば富士山が凄い高い山で荘厳な存在だと思っていたら、

世界にはエベレストという世界一高い山があって、

実は富士山はそんなに高い山でもなかったという事実

このように自分が見聞きし考えた結果も1つの事実を知ることによって、

物の見方が全然違ったものになるという事です。


山ならわかりやすいのだが情報の海に投げ出されると、

本当は知らなくてはならない事実を見逃すまたは隠されている場合も少なくない、

言いたいことは自分の知っている事実や考えは一つの事実によって覆されることがあるという認識

や覚悟が必要だという事です。

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日本にはなんとなく無神論者が多いがスウェーデンも多いらしい

参照:https://boards.4chan.org/int/thread/28702841

ヨーロッパではスウェーデンを中心に無神論が増えてきているなんと3分の2は無神論者のようなのです

私は最近、注目しているのはなぜ北欧の民度が高いのかなんですが、資料がなくて悩んでいるところです。

スウェーデンの凄いところは200年間戦争をしなかったという所にあります
私は民度を上げる方法は今のところ3つあると考えていて、
多分スウェーデンも当てはまるのではないかと考えています

本題の民度があがると無神論者が増えるという推測なのですが、
これはなぜ神様を信じるのかの逆説ですよね

なぜ神様を信じるのかというと究極的にはこの世は理不尽だからです。
理不尽で矛盾だらけだからこそ神が必要なのです
貧乏と金持ち 生まれながら障害や病気を持つ人や全然病気にならない人 権力者たちの非道

この世は理不尽で矛盾だらけです

無神論者の多い地域はこれらの矛盾や理不尽を感じることが少ない地域なのかもしれないと思っています

安心すると神様に頼らなくていいからなんとなく無神論者になるという感じです。
困ったときの神頼みという言葉もありましたねWW



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ポリティカル・コレクトネスと治安の関係性を考えてみました

欧米がポリティカル・コレクトネスならアジアはシンガポールの重罰主義だと考えられます

どちらも校則の厳しい学校みたいな感じがします

これらの方法は外から拘束をくわえて抑え込もうとする考え方です

要するに信頼関係が築けないので力で押さえつけるしか方法がないからルールや法によって抑え込んでいるだけです

日本の場合は占領した外地の治安もよかったのはなぜでしょうか?

力で抑え込んだからなのか

いいえ 違います

外地の住民をいじめなかったからです

なぜいじめなかったのでしょうか?

それはそういう文化や習慣がなかったからです

なぜそういう文化や習慣がなかったかといえば

大名統治をしていたからです

江戸時代の大名統治は侵略戦争が不可能で大名は領民からの年貢によってささえられていました

しかも年貢をたくさん取り立てて窮乏させてしまうと領民が一揆をおこしたり領地から去ってしまう危険性がありました

領地で大々的な一揆が起きるとお家断絶という厳しいルールがあったのであまり領民を苦しめるような年貢の取り立てはできなかったのです。

そのような条件下で領民を苦しめることもあまりなく江戸時代の平和は続いていたのです

そのおかげで領民から国民に変わってもあまり無茶はできないという感覚が統治者達の頭に入っていたのでしょう

またいじめをあまり経験していない日本人は一般人であってもモラルがあったのでしょうね

それゆえに外地の住民たちも安心して暮らせたがゆえに治安もよかったということになります

翻ってシンガポールや欧米はどうだったのでしょうか?

植民地支配は武力で住民を虐殺したり収奪したり酷いことばかりをしてきたので人心は荒廃し信頼関係を築くことができませんでした

もっとも終身奴隷を働かせていたので人心の荒廃どころの話ではありませんが

シンガポールもイギリスの植民地で華僑は分断統治で現地人をいじめていた酷い人たちなので恨まれる存在です、しかし商才はあるので植民地統治が終わっても社会の上層部にとどまり権力を握っています

そんな彼らが国を良くしていくための手段として選んだのがポリティカル・コレクトネスや重罰主義です。

どちらが成功しているのかといえば重罰主義のシンガポールの方でしょう、多民族国家でありながら治安は世界最高クラスで国民の所得もアジア最高峰です

もちろん民族紛争もニュースになるほどではないので落ち着いているのではないでしょうか?

ここから考えられる結論は日本方式が一番いいいのですが、
それができないのであればシンガポール方式でしょうね

ポリティカル・コレクトネスを採用している国は治安の改善がみられません
治安が改善されなければ反対運動ももちろん過激化します
しかも治安を重要視しないので移民を大量に受け入れ、
受け入れた住民が治安を悪化させています

受け入れた移民はポリティカル・コレクトネスなんて関係なく暴れ、
元々いた国民にポリティカル・コレクトネスで押さえつけようとしているのです

考えれば馬鹿みたいなことですが本人たちは真剣です

イギリスのEU離脱やトランプの大統領就任でポリティカル・コレクトネスで抑え込んでいた国民が反旗を翻し始めました

ポリティカル・コレクトネスを優先する国々の人はまず治安を良くする方法を考え実行すればいいと思います

そうすればポリティカル・コレクトネスなんかより人々の本来備わっている良心の塩梅で安定した社会が営めるようになるのではないでしょうか?


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洗脳(せんのう、英: brainwashing)は、強制力を用いて、ある人の思想や主義を、根本的に変えさせること。


強制力=学校教育ですよね

だから洗脳です

知識を強制的に詰め込むのが学校教育なんだから洗脳以外の何物でもないです

エリートは洗脳優等生なんです

学校教育を洗脳教育から解放させたい場合は学校教育が洗脳であることを教えて、
違う考え方もあると教えることから始めなければなりません

考えてみると受験勉強に優秀な人ほど洗脳されやすいとも言えます

そう考えると合点がいくことも多いですよね

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chrome のシークレットモード

履歴が残らないだけではありません

chromeは何かを起動させるたびにアプリを増やしていくメモリキラーなのです(タスクマネージャーを参照)

しかも閉じてもアプリは消滅せず残っているのです

しかしシークレットモードではアプリが増えても閉じればアプリも消えます

シークレットモードで問題ないときはシークレットモードが基本のほうがいいようです

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心の闇というのは根源的に死への恐怖につながっている

心の闇とはビルの綱渡りに似た心理なのだと思う

心を強くするとかではビルの綱渡りは不可能だ

なぜならビルの綱渡りは永遠に続くのだから

解決法はやはり前に書いたように視点をずらすことに尽きると思う

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心の問題は非常に厄介なものです。

なぜなら解決方法がないからです。

いくら頭が良くても解決方法がないので最後には飲み込まれて破滅してしまうからです。



よく救われたとか悟ったとか色々な話を観たり聞いたりしますが共通点がありました。

それは視点をずらす事だったのです

その物を観ず

例えば禅ですがこれは心を観るというよりは無心などになるように訓練することです。

心を観ているように見えて実は視点を上手にずらしているのです。

仕事に没頭するという解決方法もあります

これも仕事に集中させて視点をずらしています

祈りもこう考えてみると視点ずらしにあたると言えます



このように心の問題というのは直接関わらず

関連するようでありながら

ずらして問題を変えて心の闇を覗かないようにする方法だったのです



心の闇を覗かないために自分なりの視点ずらしを考えることが一番大事だというお話でした

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どちらも文明の知恵を結集した場所でそれを失って以後の世界は文明としての力を失ってしまったのではないだろうか?




エジプトは642年までは東ローマ帝国の支配下だった

ビザンチン帝国期(380年 - 642年)[編集]
詳細は「:en:Diocese of Egypt (Late Antiquity)」を参照
ローマ帝国の分割後は東ローマ帝国に属した。
Sassanid conquest of Egypt(618年–621年)でササン朝ペルシャが勝利し、629年までその支配下にあった。同629年、エルサレムなどでキリスト教に改宗しないユダヤ人に対する虐殺事件、Massacres of the Jewsが起こり、ユダヤ人がエジプトに脱出した[9][10][11]。




知恵の館

知恵の館(ちえのやかた、アラビア語:バイト・アル=ヒクマ, بيت الحكمة Bayt al-Ḥikmah)は、830年、アッバース朝の第7代カリフ・マームーンがバグダードに設立した図書館であり[1]、天文台も併設されていたと言われている。
サーサーン朝の宮廷図書館のシステムを引き継いだもので、諸文明の翻訳の場となった[2]。「知恵の館(バイト・アル=ヒクマ)」は「図書館」を指すサーサーン朝の呼び名の翻訳だと言う。

ギリシア語の学術文献の、アラビア語への翻訳であった[1]。時にはシリア語を介しての翻訳になった。
国家事業として、医学書・天文学(占星術を含む)・数学に関するヒポクラテス・ガレノスなどの文献から、哲学関係の文献はプラトン・アリストテレスとその注釈書など、膨大な書物が大々的に翻訳された(「大翻訳」)。また、使節団を東ローマ帝国に派遣して文献を集めることもあった。
10代カリフ・ムタワッキル(在位:847年 - 861年)以降の反動期によって、活動が急速的に衰えていくこととなった。そして1258年のモンゴル帝国によるバグダードの戦いによりバグダッドは町ごと破壊され、知恵の館も膨大な文書と共に灰燼に帰した。




アレクサンドリア図書館(アレクサンドリアとしょかん、古希: Βιβλιοθήκη τῆς Ἀλεξανδρείας - Bibliothḗkē tês Alexandreíās)は、紀元前300年頃、プトレマイオス朝のファラオ、プトレマイオス1世によってエジプトのアレクサンドリアに建てられた図書館。
世界中の文献を収集することを目的として建設され、古代最大にして最高の図書館とも、最古の学術の殿堂とも言われている。図書館は多くの思想家や作家の著作、学術書を所蔵した。綴じ本が一般的でなかった当時、所蔵文献はパピルスの巻物であり、蔵書は巻子本にしておよそ70万巻にものぼったとされる。アルキメデスやエウクレイデスら世界各地から優秀な学者が集まった一大学術機関でもある。薬草園が併設されていた。

「アレクサンドリア図書館」の喪失[編集]
その後、虫害や火災によって図書館の莫大な蔵書のほとんどは、併設されていた薬草園共々灰燼に帰した。そして後世の略奪や侵略による度重なる破壊で、建物自体も失われた。
アレクサンドリア図書館が火災に遭った原因については諸説がある。プトレマイオス朝末期のユリウス・カエサルの侵攻時(ナイルの戦い (紀元前47年))、港の艦隊の火災が延焼して焼失したと考えられるが、その後ローマ帝国の下で復興した。270年代のアウレリアヌス帝時にも内戦による被害を受けている。しかし最悪の打撃は4世紀末以降のキリスト教徒による継続的な攻撃である。5世紀には当時のキリスト教徒大司教の使嗾のもとにヒュパティアの虐殺(415年)などの蛮行を繰り返し、大図書館やムセイオンをも破壊した。このようなキリスト教の蛮行によりヘレニズム学術の貴重な成果の大半が失われた。

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